年譜によるロジャー・デイヴィス物語

ROGER DAVIS as Hannibal Heyes


1938年(0才) ケンタッキー州にあるエドウィン・デピスの家に4月5日、赤ん坊が生れた。 それは体重3800gもある大きな男の子で産声も人一倍大きかった。彼はロジャーと名づけられ た。ロジャーの父、エドウィンはルイスヴィルの町でタイヤ工場を経営しているガッシりした 体格の男だった。母はぬい物とビーフシチューが得意の平凡な主婦だった。

1940年(2才) ロジャーの成長は目ざましかった。風邪をひきやすい、という弱点はあったが 身体の大きさは父親ゆずりで2才の頃から体格はずば抜けており、他人の目から見れば5才位 の男の子に見えた。その上ロジャーはマセた子供で英語の発音もはっきり出来たし、数も100ま でならスラスラ読めた。体格や精神年令がこれ程発達した子供だったから、怪我の程度も仲々 のものだった。ある時は5mもある崖っぷちからおっこちて発見がもう30分おそかったら死ん でいた、というのもあったし、町一番の不良のガキ大将ににらまれて右肩を、血が止まらない 程咬まれた事もある。急に道路に飛び出して牛乳配達のオートバイの下敷になった事もあった。 こんな風だから、母は一日中ロジャーから目もばなせない状態だったという。

1944年(6才) 地元のルイスヴィル・プライマリー・スクールに通う様になってもロャーの 大胆不敵な行動には変りがなかった。 かといってロジャーは別に先生から目をつけられる様な性質の悪い生徒ではない。ただこわい もの知らず、というか向う見ずなだけなのだ。 本当は心のやさしいデリケートな男の子だったらしい。当時のエピソードにこんなのがある。 ロジャーのあまりの向こうみずさに手を焼いた母はある日彼にこう言った。「ロジャー、あなた は犬や猫や他の子供をよくいじめるけれど、その度にママは目が痛くなるのよ。もし今度犬や 猫をいじめたらママの目はすっかり見えなくなってしまうかも知れない」…これを聞いてロジ ヤーは母の為に絶体乱暴な事はしない、と心に誓った。2、3日して一匹の大きな犬がロジャ ーの前に現れた。彼はもちろん何もしなかった。 所が悪い事にこの犬は熱病にかかっており大変に気がたっていた。そこでロジャーの腕にかみ ついていったのだ。彼はすぐにズボンのべルトで犬を追い払おうとしたが、母の言葉がよみが えり、「ここで僕が犬をなぐったらママが失明するかもしれない」と思い留まった。おかげでロ ジャーの椀はあちこち咬まれ、血がにじんだ。 丁度そこへボーイスカウトのリーダーが通りかかって追っ払ったのでロジャーはなんとか失神 せずにすんだのだ。この話をきいた母は我が子に何度も詫びた。一見乱暴なロジャーは心やさ しく、そしてがまん強い子供だったのだ。

1953年(15才) 小学校、中学校を通してロジャーは決して優秀な生徒ではなかった。成績は中 位か、も少し下だった。しかしスポーツの力はズバ抜けていた。球技、陸上競技、水泳、乗馬 と何でもござれであった。高校に進む頃には、「僕の将来はフットボール選手になるしかない」 と確信を持っていた。しかし―方では軍人というものにも大きな魅力を感じていた。 そして両親とも相談した結果、高校はテネシー州レパノンのキャッスルハイツ陸軍士官学校に 進んだ。

1955年(17才) 士官学校での毎日の生活は大変きびしいものだったがロジャーにとっては楽し い日々だった。彼は陸上競技部に参加しクロスカントリー競走の選手として活躍していた。 この学校を卒業するまでに合計8つの優秀カップを授与されている。

1956年(18才) 士官学校を卒業したロジャーはコロンピア大学に進学した。ここでは英文学と 英語学を専攻し、毎日毎日読書に耽った。「それまであまり興昧のなかった読書という習慣がこ んなに楽しいものだとは知らなかった」と彼は大学時代の日記の一ページに記しているが、こ の感想からも分かる様にロジャーは一日も本をはなす日がなかった。

1957年(19才) 大学では文学を専攻する傍、マイケル・ハワードについて演技の勉強もしてい た。そして夏休みにはマイケルに指導されるまま夏期巡業団に加わってアルバイトを兼ねた、 ”ドサ廻り”をした。この時期に経験した大道具、小道具、照明、美術等の雑学は後プロの役者に なってからも大いに役だっている。 ニューヨークのウッドストック、レバートリー劇場、プレイヤーズ・センター等はこの頃のな つかしい思い出のある劇場である。

1960年(22才) コロンビア大学を優秀な成績で卒業したこの年、彼は更に学業を重ねる為、ハ ーバード法律大学に進んだ。しかし間もなくしてロスアンゼルス・カリフォルニア大学から講 師として来ないか、という招きがありハーバードには―週間程出席しだだけでやめてしまった。 コロンビア大学在学中に英語の教師の資格を取っていたのがこの時、役に立ったという訳だ。 そしてこの年の9月からロスアンゼルス・カリフォル二ア大学の一年生達に英文学の講義をす るという生活が始まった。 それはロジャーにとって全くの新しい経験ではあったが楽しかった。大きな可能性を秘めて 将来に大きく飛躍しょうとしているフレッシュメンと対応しているのは全くさわやかだったし 彼自身も水々しい気分を味わう事が出来た。

1961年(23才) 英語の教師として平和にのどかに暮していたある日、コロンビア大学からの演 劇の指導者、マイケル・ハワードから連絡があった。テレビシリーズ『ギャラントメン』のギ ブソン役のオーディションがあるのだが受けてみないか、というのだ。ロジャーは現在の境遇 に決して不満があったのではないが、俳優という職業には大いに魅力を感じていたので早速こ の話に乗った。そして見事に合格し、ギブソン役を獲得してプロの俳優の仲間入りをしたのだ。

1968年(30才) 本格的な俳優としての修業が始まり数多くのテレピドラマに出演した。『ダー ク・シャドー』の中の8つのエピソード、『今週の映画』の中の”若い国”と”黄金の河”の 二篇、あるいはオフ・ブロードウェイの芝居、”Mac Dird”等が、この頃の仕事である。

1969年(31才) 『西部二人組』のオーディションを受けたが惜しくも次点になった。が、ゲス トとしてこのシリーズの1〜2篇のエピソードに出演した。

1972年(34才) 『西部二人組』の主役ピート・デュエルが自殺し、次点だったロジャーが自動 的にピートの跡をついで二代目のハンニバル・へイズになった。彼にとっては「何か割り切れ ない気持」だそうである。
(『テレビジョンエイジ1973年臨時増刊号』より)